東日本大震災9年、復興のバトン
昨年10月の台風19号に襲われた宮城県丸森町。ここで復旧活動に携わる萬代好伸さん(56)はこの9年、国内で起きたいくつもの災害現場に足を運び、がれきや土砂の撤去など重機を使った支援活動を続けてきた。「重機のばんちゃん」。そう頼りにされている。
震災が起きたのは、宮城県石巻市の職場で仕事をしているときだった。急いで自宅へ戻る途中、津波が目前に迫った。日和山に駆け上がり目にしたのは、屋根の上で助けを求める人々や、柱や梁(はり)にしがみついたまま流され、波間に消えていく人たち。市内の死者・行方不明者は約4千人に上る。
震災で職を失った萬代さんは、ボランティアを送迎するバスの運転手を経て、災害支援団体に所属し、特殊車両を操作する仕事に短期雇用で就いた。
そんな時、街中でボランティアの奮闘を目にした。「明日をどう生きよう、と途方に暮れたとき、全国から皆さんが来てくれた。泥だらけになって働いてくれる姿に、どれだけ励まされたか」
震災の約半年後、紀伊半島で大水害が起きた。大切な人を失い、故郷をずたずたにされた被災者らが以前の自分と重なった。所属する団体に持ちかけて重機を和歌山県那智勝浦町や新宮市に運び、復旧活動を手伝った。「今は絶望の淵にあっても必ずまた立ち上がることができると知ってほしかった。被災地から被災地へ、支えられた恩を次へと贈り続けられたら」
萬代さんは定職を見つけた後も、災害が起きるたびにボランティアに出かけた。熊本地震(2016年)や台風10号(16年)、九州北部豪雨(17年)、西日本豪雨(18年)……。「石巻代表として行ってこい」と快く送り出してくれる職場だったが、長期的な活動の必要性を感じ、18年に退職。災害支援を担う一般社団法人「OPEN JAPAN」のスタッフになった。
被災者の思いに寄り添い、丁寧な支援を心がける。被災した家財の何を残し、何を捨てるか。揺れ動く被災者を焦らせず、状況に応じて変化するニーズをすくい上げる。「仲間と力を合わせてやっているのは、作業じゃなくて活動。大事なのはスピードじゃなくて、住民ひとりひとりの意向に沿った支援です」
現場からの帰り道、トラックを運転しながら、被災者の苦難を思って涙を流すこともある。だが、翌朝には必ず、笑顔で現場へ向かう。「俺に『ありがとね』って笑いかけてくれる人たちも、夜にはきっと泣くんだろうなって思う。でもやっぱ、お互い分かってても、笑うしかない。うん」。そう言ってほほ笑む。
復旧活動の傍ら、自らの体験を語り、災害への備えを説いている。震災の記憶が風化する一方で、次の災害が1秒ごとに近づいている。「新たな犠牲を出さないよう動くのは、生き残った俺の宿命です」(川村直子)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル